「飯田娘」の歌詞

2004/10/24

♪一番♪

野底(のそこ)の川の せせらぎ聞いて

姫宮(ひめみや)の松に 夕月懸かりゃ

竜胆(りんどう)さやと 薄くれないに

飯田娘の うなじの白さ

♪二番♪

三霊様の 宮居(みやい)に立って

天竜の瀬に 灯りが映えりゃ

街は静まり 瀬音は冴えて

飯田娘の なさけの濃さよ

この歌詞は、「無礼者」さんが憶えておられたものです。私(jiji)は、ほんの一部だけしか憶えていませんでした。無礼者さんに感謝。

一番は
「竜胆さやと 薄暮に揺れて 飯田娘の 素足の白さ」 とも聞いた気が…

二番は
三霊 は 飯田にあるのだろうか? 蚕霊 産霊 ではないかと思うのだけれども…

私が知りませんでした。長姫神社のことだそうです。飯田城主三氏を祀ってあることから「ご三霊」と呼ばれるとか。

地元産でないということで、お許しを。

掲示板でご教示下さった、「無礼者」さんありがとうございました。(2004/10/24)


その後地元新聞社や市役所にに問い合わせたりして、正確なものが判りました。(飯田市役所「エコツーリズム推進室」の桜井さん。ありがとうございました)

作詞:多田二十一 作曲:原賢一 両氏によるものだそうです。

ただ、著作権フリーのものではないことがはっきりした以上、その全部を掲載することは出来ません。近いうちに後継の方に連絡をして、許可が(もし)いただけるようでしたら掲載したいと思います。(2004/11/11)


■尚、間違いや著作権等問題のある時は、ご連絡を御願いいたします。

飯田市が作成したCDの中に記載された文章を転載します

多田二十一氏が「飯田娘」の作詞をされたのが、昭和三十一年四月七日であるので、原賢一氏が作曲されたのは、昭和三十一年の後半と思われる。多田二十一氏は「丈長屋」の経営者であり「三十七さん」の愛称で親しまれていた。昭和二十年代から三十年代後半まで数多くの作詞をされ、その殆どが郷土の風土や景色を題材にされている。多田さんは、作曲者山田耕筰氏、大木正夫氏、原賢一氏との親交が深く、その方々の作曲もいくつかある。特に郷土の作曲者原賢一さんの作曲が多くある。

「飯田娘」はジュピターレコードから発売され、唄は名倉美智子さんが歌われた。天竜峡に歌碑がある

歌碑の銘板にも解説があった。(← 2010/2/18 追記)

多田二十一氏は、他に阿南町冨草小中学校の校歌も作詞された現在の校歌はそれ以前の「浅井冽」氏のものに復されている。また、共に山田耕筰氏の作曲による「ペィチカの夜」「ふるさとの山」がある。

原賢一氏は、多くの作曲をされたほか、下記各曲の編曲をされた。

江戸の隠密渡り鳥
ドラマ「隠密剣士」、アーティスト:テイチク男声コーラス/作詞:加藤省吾/作曲:小川寛興
赤胴鈴之助
ドラマ「赤胴鈴之助」、アーティスト:秋丸ひとみ/アーティスト:テイチク児童合唱団/作詞:藤島信人/作曲:金子三雄
笛吹童子
ドラマ「笛吹童子」、アーティスト:屋成安美/アーティスト:テイチク児童合唱団/作詞:北村寿夫/作曲:福田蘭堂

その後、多田二十一氏のご親戚の方に、転載可能かどうかを訊ねていただきました。結果、許諾をいただき以前のサイトに書いておいたのですが、不慮の事故で紛失してしまいました。元は残っていない物と思っていましたが、幸運にも控えが残っていることを発見いたしました。(2010/02/10)で、以下正式版「飯田娘の歌詞」

飯田娘」の歌詞

多田二十一 作詞 原 賢一 作曲
    • 野底の川の 瀬々らぎ聞いて
    • 姫宮の松に 夕月かかりゃ
    • 竜胆そよと 薄暮に揺れて
    • 飯田娘の 素足の白さ
    • 城山広く 松風聞いて
    • 今宮の松に 薄月かかりゃ
    • 鷺草ひそと 谷間に咲いて
    • 飯田娘の うなじの白さ
    • 愛宕の宮の み苑に立って
    • 松川の瀬に 河鹿が鳴けば
    • ネオン華やぎ 歌声ひびき
    • 飯田娘の 姿のよさよ
    • 三霊様の 宮居に立って
    • 天龍の瀬に 灯りが映えりゃ
    • 街は静もり 瀬音は冴えて
    • 飯田娘の 情けの濃さよ