餓鬼の首について

2008/07/07

以前書いたものがなくなってしまったので、思い出し書きです。

「餓鬼の首」って何?

子どもの首という意味ではありません。

お盆の十五日の翌日(十六日)には「今日は餓鬼の首だから、何もしないぞ」と、昔はいいました。「餓鬼の首」ってのは、何ですかと聞くと「今日は地獄の釜も蓋が開いて、餓鬼も出入り自由になる日なのだ」ということで、意味がはっきりしません。

餓鬼の首は一年では二度あります。1月16日と7月16日です。(お盆が8月の所8月16日)実はこの日は閻魔さまの御縁日(えんにち)(注1)で、閻魔様の御縁日の場合は特に「賽日(さいにち・さいじつ)」(注2)というそうです。「閻魔賽日」といます。一般にこういう日を斎日(注3)といいますが、閻魔様には賽の河原との繋がりもあって「賽日」がふさわしいですね。1月16日は[初閻魔」とも云われています

閻魔さまにとっては公休日らしく、地獄の釜も蓋が開き、彼の川も出入り自由になるそうです。

此の岸の住民(この世の人々)にとっては、斎日(賽日)であれば、この日は身を慎まなければなりません。「注2」にもあるように、この日は藪入りでもあります。藪入りについては、

1月16日及び7月16日は藪入り(やぶいり)です。

江戸時代までは商家の奉公人は年2回のこの藪入りの時だけ、お店を休んで実家に帰ることができました。明治になって「週」の制度が入ってからも、外国系の企業以外は昭和初期までこの風習が残っていました。昭和初期の頃ですと、一般には商家の主人が奉公人に小遣いを持たせて家に帰し、戻ってくる時は母が送ってくるといったものもあったようです。

また地方によっては、この日は嫁が実家に里帰りする日にもなっていました。この時通常婿が送っていく訳ですが、婿も一緒に泊まる風習の所、婿は家に入れない風習の所などが地方によってありました。今はいつでも里帰りできますので、こういう風習も消えていっています。またこの里帰りの時にお餅を持っていく習慣のところもありました。

この日は閻魔様の縁日でもあります。そのため「地獄の釜のふたが開く」と言われ、海に出ることを禁じてきました。この日に地獄の十王詣でをする人もあり、藪入りで帰った人が故郷の閻魔堂にお参りに行く風習もありました。

餓鬼が遠い(?)彼の岸(かのきし)より帰ってきます。出かけて留守にしては、餓鬼に申し訳ないでしょう。餓鬼といえども家の者です。此の世の子どもたちも帰ってくる、嫁(婿)も実家に返す。家庭内は内輪の者ばかりになります。所謂「水入らず」です。一番遠慮がなく気楽になれるわけです。

こういう時は何もせず団欒(だんらん)に徹するのが人の道だ、ということでしょうか。

この地方(長野県飯田)では、人の一番いい時(季節・時節)を「蚊帳を吊る前、嫁来る前」(かやをつるまえ、よめくるまえ)と表現することがあります。「蚊帳を吊る前」はいうまでもなく、やっと暖房がいらなくなって、しかもまだ蚊も出ない暮らしやすい季節のことです。

「嫁来る前」は、お嫁さん(婿さん)だった人が甲羅を経てお母さん(お父さん)になり子どもが成人した頃(家の人になり)、が、まだ嫁(婿)(他人)がいない、家族だけの遠慮の必要のない時で、その頃が一番暮らしやすいというのです。

そういう気持ちのいい時間を、一年の内幾日かでも実現できるのが「餓鬼の首」です。兄弟(姉妹)たちが帰省して、お嫁さんが死ぬほど疲れると云うこともない。なかなかうまくできた仕組みなのです。

「今日は餓鬼の首だから、何もしないぞ」という意味はこういうことです。地域の諸行事などはもってのほかでしょう。



以前のものは消える前には、以下のように書いたらしい。

ここから

閻魔賽日(えんまさいにち)といって地獄の公休日である。獄の釜の蓋が開く日と伝えられる。餓鬼も出入り自由なのかも知れない。こういう日を利用してご先祖様は帰ってこられるのだろうか。ご先祖様も、遠い(?)ところから来たのに家族が留守ではさぞやがっかりとされるのではないか?

此岸でも両日は昔で云う藪入りでもある。奉公人に年二回の休暇が出る日で、草深い田舎に帰ることから藪入りと言ったとか。

当然店は休みになるわけだし、受け入れ先の実家でも野に出るわけにいかない。また、共同体の行事を行うことも避けられたはずである。

嫁いできたお嫁さんも実家に帰すのである。家族だけで水入らずの時を過ごそうという、先人の知恵であったろうか。

ここまで


しかし、水入らずの時がいかに至福の時であろうとも、何時までも続くわけではないようです。また続けてはいけないのでしょうね。子はいずれは親離れが必須となりますし、ご先祖様もご先祖様一般(その他大勢の中の一人としての)になり、やがては生きた個としては記憶からこぼれていきます。お施餓鬼などのことを思えば、なおのことそうなのでしょう。小さな流れがやがては大海に注ぐように、元の川の記憶は薄れていくべきなのでしょうか。