師弟

承天寺閑栖 遠藤楚石

たけた知恵者の趣と、至純な童心、その相反するものが物の見事に共存する不可思議さ。師の宗教家としての類希な資質であったろう。室中の接化は、悪辣を極めたが、在家、特に子供の応対は、これ慈悲のかたまり、まるで別人である。その切り替えし、変わり身の不可解さを、私は、「とっちゃん坊や」と綽名して、痛く不興を買った。

今にして思えば、師は随所に主となって、ただ遊戯三味していたまでのこと。己の不明を恥じねばならない。正面だって師を語るには、まだ余りにも生々しく、頭の中の整理がつかない。取るに足らない思い出一つを綴って責めを塞ぎたい。

りんご

在錫中の或る日。「お前の母親は常識の無い奴だな。」と老師。それは如何にも唐突にであった。

父の死後出家して、母とはもう何年もの間会っていない。この二十年の中、一度か二度か。

その母が老師のもとにりんごを送って来たという。老師が礼状を認められ、色紙を添えて送られた。その返事が無いと言われる。

ふと、母の顔が頭を過ぎる。久々に取る受話器。氣が重い。

「なんで急にりんごを送ったりしたの。」

「老師様にお送りしたら、ひょっとして、お前にも食べさせていただけるかと思ってね。ごめんねえ。却って迷惑だったかえ。」

「そう。まあ済んだことだから。でも色紙が届いたでしょう。葉書でもいいからお礼を書かないと…。」

「ああ、それねえ。あんまり偉い人からお便りをいただいて、もうどうしていいのかわからんくて。お前の立場もあるんだから、ちゃんと毛筆でお返事をせねばと思って何度も書いてはみたんだけど。どう書いたら失礼にならんかと迷ったりしてねえ。そのうち、日ばっかり過ぎて了って。恥をかかせたねえ。ごめんよ。」

「もういいよ。私から老師に良くお詫びして置くから。」

「そんな訳で、お礼状も差上げられず申訳けありません。私の母は、根っからの田舎者で、もうただただ恐れ入ってしまってどうしていいのか分からんのです。失礼の段お許し下さい。」

「……。……。」やおら、弱々しいが、「もういい。何も言うな。が悪かった。」と頭を上げると其処に、涙でくしゃくしゃな老師の顔が有った。

「お母さんを大切にせよ。」