イノシシに乗った女神 -1-

【飯田市美術博物館学芸員】 織田 顕行

摩利支天(まりしてん)の実像を求めて

その名を摩利支天(まりしてん)という。

我が国では護身や勝利、開運などをつかさどる仏教の護法神として信仰を集めている。しかしどちらかというとなじみの薄い存在なので、はじめてその名を耳にする力も少なくなかろう。

また、亥年の守り神でもある。なぜならご覧の通りイノシシの背に乗っているからだ。 今年は亥年。そこでイノシシにゆかりの深いこの摩利支天の謎にせまってみたい。

摩利支天とはいったいどんな神なのだろうか。

摩利支天とは

イノシシに乗る摩利支天

イノシシに乗る摩利支天

イノシシに乗って素早く移動し、しかもすがたが小さく実体が見えない。すなわち傷つきにくいことから我が国では戦場の護神として武士や忍者が信仰し、江戸時代には蓄財福徳の神として大黒天や弁才天とともに人気があったという。山岳信仰や剣術などと結びついて地名や石碑などにもその名を残しており、名前を闘いてピンときた方もあるかもしれない。

その直接的なルーツは威光・陽炎(かげろう)を神格化した古代インドの女神マーリーチーに出来する。マーリーチーとはサンスクリット語で日月の光を意味する。創造神プラフマー(梵天)の子といわれ、その昔インドラ(帝釈天)とアスラ(阿修羅)とが戦ったときにはインドラの支配する月と太陽の光をさえぎりアスラの攻撃から守ったという。

摩利支天の功徳を述べた仏教経典にはおおよそ次のように説かれている。この天は常に太陽の前にいて、その神通力ゆえに何人たりともその姿を見ることも実体を捉えることもできない。そしてこの天に帰依すればあらゆる厄難からその身を護ってくれる。また像を彫る際にはできるだけ小さく作る方が望ましく、そして用足し以外は肌身離さず持ち歩かねばならないという。

摩利支天のイメージがこれらの経典によって確立されるまでには長い道のりがある。古代インドの太陽神スーリヤ(日天)などを経てイランの神々にまで遡る可能性があるというのでそのルーツは意外と深い。

イノシシが意味するもの

摩利支天はイノシシの背に乗る唯一の護法神である。また三つの顔を持つ摩利支天はそのうちの一面がイノシシの顔になっている。いったい何ゆえに摩利支天とイノシシが結びつくのだろうか。

摩利支天の素早く疾駆するさまをイノシシに喩えたというのが一見まっとうな理由のように思える。現に各寺院でもイノシシは摩利支天の眷属であり、智慧の迅速さや勇敢さをあらわすものと説明される。しかし経軌の中には「猪車に乗りて立つこと舞踏の如し(『大摩里支菩薩経』)などと説明されることもあるが基本的にあまりイノシシのことは詳しく記されていない。摩利支天が日本にもたらされた後にこのように理解されていったのかもしれない。

おそらく両者のつきあいは経典の成立よりもはるかに時代を遡らなければその源泉に辿り着くことはできないのではないか。それに多くの日本人が抱くイノシシのイメージが普遍的なものであるとも限らない。そこでもう少しこの問題を掘り下げてみよう。

摩利支天のふるさとインドや西アジアでもイノシシ(野猪)は古くからなじみの深い動物だったようで、森に住むイノシシは古くから狩猟の獲物とされ、しばしば神話や美術工芸品のモチーフにも登場する。古代インドでは、イノシシ(ヴァラーハ)は根本神ヴィシュヌの化身のひとつでもあった。さまざまな姿に変化したヴィシュヌはイノシシに姿を変え、海に沈んでいた大地を救いあげたという。マーリーチー(摩利支天)は、このヴィシュヌのへそに芽生えた蓮から生まれた創造神ブラフマー(梵天)の子だといわれる。イラン神話の英雄神ウルスラグナ(バフラーム)もまたヴィシュヌのようにイノシシに姿を変えて光明神ミスラを先導したといわれる。こうした偉大な神の化身と摩利支天とを結ぴつけることで暗にその出自の正統性を強調しようとしていたのかもしれない。あるいは摩利支天が光明を司ることから西アジアの光明神との関わりが深く、またヴァラーハという語が水に関わる神を指すことなどから摩利支天とイノシシとは水と光明を通じて結ばれたのではないかとの指摘もある。このように摩利支天とイノシシとのつきあいは古く、古代インドやイラン神話にまで遡っていくのである。

摩利支天のかたちに込められた意味

摩利支天の像を造るにあたっては、経軌にもとづくかたちの制約はそれほど受けなかったようで、その姿は多様である。七頭のイノシシの背に坐る場合もあればただ一頭のイノシシにまたがったり三日月の上に立つこともある。三面六臂(さんめんろっぴ)あるいは八将という異形のすがたであらわさたり、我々と同じように二本の腕と一つの顔を持つ摩利支天もいる。さらに女神でなく男神のすがたであらわされることも少なくない。

宗教に関わるイメージ(偶像)にはそれぞれのかたちに意味があり、イメージの出自や役割などが注意深く細部に到るまで反映されている。それを読み解く方法論をイコノグラフィー(図像学)とよぶ。こうした手法によって摩利支天とイノシシとの関わりを考えてみたわけだが、それ以外にも摩利支天のかたちにはさまざまな意味が込められている。例えば、摩利支天のアトリビュート(持物)である針と糸は、『大摩里支菩薩経』に悪口や讒言を縫い込めるための道具であると説かれており、そこには懲罰者としてのイメージが投影される。

弓矢は暗黒を引き裂いて光明をもたらす象徴とも解釈されている。古くは太陽神スーリヤのアトリビュートとして知られており、七頭のイノシシに乗ることも含め、摩利支天のイメージ形成の源泉にはこのスーリヤの存在があったことは複数の研究者の指摘するところである。

イノシシの七頭という数についてもゆえなき数字ではない。これについて言及している研究者たちは太陽神スーリヤや大日如来といった太陽に関わる神仏がいずれも七頭の動物に乗ることに着目している。スーリヤは七頭の馬に乗り、インドの一部のマーリーチー像にはイノシシの代わりに馬に乗る作例がある。マーリーチーとスーリヤとは密接な繋がりがあると指摘されていることは先にも述べた。また我が国の大日如来像の中にも七頭の獅子に乗る作例がある。七という数字は秩序や完全性や全体性を象徴するものとされている。王権の象徴たる太陽とゆかりあるこれらの神々にとってはきわめてふさわしい、聖なる数字なのである。

(つづく)