このところ、地元の市民病院の内科へ2-3週間に一度のペースで通うことになってしまいました。半年前くらいから不調が続き、放って置いたのがいよいよ日常生活にも影響が出始めて、やっと観念して出かけたのです。フジやボタンの開花頃は、「オイオイ冗談じゃないよ」状態でした。病院では、我がカメラの製造元Olympus謹製内視鏡システムのお世話になりました。「この手の機械で稼いで、赤字のカメラ部門に予算を投入しているのだなぁ」という立派な装置でした。
この年齢になるまで一度も総合病院などにはお世話になったこともなく、せいぜい風邪を引くか食べ物のせいで発疹が出たときに近所の医院にお世話になったくらいでした。丈夫というわけではなくたまたま大病をしなかっただけのように思います。
現在病名が「ほぼ」確定し、その病名に相応しい薬を毎食飲んでいます。薬のせいで幾分か楽にはなりましたが、不調状態からは抜け出てはいません。難儀なことです。
医師に依れば、直接生死に影響するものではないが、基本的には根治はないものと思って下さい、とのこと。オイオイオイですが、そういう体になってしまったわけで、立派な病人になったわけです。
薬のせいで毎日草取りに明け暮れているのですが、病人です。サイトの更新が滞るほどには病人です。100%病名が確定したらここに書き込む予定です。
【宣伝】「クラフトまつり 2013」が開催されます。大勢のお客様が見えることを期待しております、と主催者がいっていました。
ここ(飯田)では「飯伊仏教大学講座」と銘打って各宗入り交じっての講演会を毎年開催しています。講師はそれぞれの宗派が個別に依頼をするという、ちょっと変わった講演会なのです。本日は臨済宗が依頼した講師による講演会の日に当たっていました。
今回は山梨県真福寺のご住職の田中悟道師をお願いいたしました。建長寺で修行された方で、今までには時々お目にかかった位のご縁で、しかも僧堂での先輩に当たり、本当であればお願いすることは少し厚かましいことになる方なのです。
昨年の内に電話で「お願いします」で快くお諾け下さり今回お目にかかったわけです。滅多に行かない講演会にも今回だけは出席しないわけにはまいらないわけです。(若いときには事務局でさんざんお手伝いしました<言い訳モード)前日の夕食やら当日の昼食やらでご一緒し、同じ頃の鎌倉の空気を吸った者同士の話は面白く・懐かしく、あぁお願いしてよかったと心から嬉しくなってしまいました。
例年講演の講演会では、幾人かの受講生が電車の時刻やらトイレやらで終了間際には席を立たれるのですが、今回は最後講師が引かれるまでどなたも席を立つことはありませんでした。面白い・引きつけられる講演で有ったということです。
声をおかけした側としては仏教会に対しても受講生の方にも言い訳の出来る講演会であったと胸をなで下ろしています。田中悟道師には深く感謝申し上げます。
昨年遷化した同夏(同期のもの)の一周忌に出かけた。同夏のものが私を含めて六人お参りしたのだ。栃木県は足利市。よく晴れていて、気温は朝で0℃前後、信州の-8℃あたりから比べれば何と暖かい、はずであったが朝から強風(当地比)、メチャクチャ寒く感じる。上州の空っ風、舐めてはいけない。
若い頃にお邪魔したお寺で六人ともその時一緒のはずである。ところが、話題にしてみると誰も覚えて居ない。近くにある大中寺に行き、上田秋成の「青頭巾 」に出てくる「江月照松風吹 永夜清宵何所為」などの話を伺ったことを私は覚えて居るのだ。
色々話を交わしてみると、各々少しずつ異なった部分を覚えて居て、どうも同夏で同夏会(同級会)をやったらしい。しかし幹事役であった足利の某もそのことを覚えて居ない。割合とそういうイベントは忘れていない気がしていたのだが、全員がかなり怪しくなっている。
帰りにあきる野市の某寺に立ち寄った。同世代では一番早く遷化して八年ほどになる同夏の墓参りをしようというわけだ。駐車場の横に美事なシャクナゲの木があった。二十本ほどあって、それぞれ既に立派な花芽を付けている。何時植えたのだろうか、今回初めて気がついた。昨年も同様に足利からの帰りに立ち寄ったがその時は気がつかなかった。だから最近になって植えたものであろうと想像した。
奥様にお茶を頂きながら、そのことを話題にした。ところが「いやぁ、開善寺さんから苗を頂いた物ですよ、あれは。覚えて居ません?」「毎年咲いて写真を撮りに大勢人が来ますよ」というお話で。私には全く憶えがなく、そう教えられても記憶がよみがえらなかった。小さな苗からということと、今の木の大きさから判断すると二十年前には植えたようなのだ。
何かの機会に差し上げたのだろうが、そのことをすっかり忘れていて今も思い出せない。
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2008/4/22 〜 |