僕は体の色が白い。手も顔も黒いが、これは日に焼けているからだと思う。僕の兄弟も、三人いる僕の子供たちも全員色が白い。
父も母も色白ではないし、第一母が化粧などしたところを見たことはない。小学生の頃の参観日など、脊が小さく顔色も黒く脊を少し前屈みにした姿は、逆に目立っていた。
母の遺影は表情は明るいけれども、そういった姿だった。おそらくいくらかは元気だった頃に撮ったものの様だった。けれども棺の中に納まった顔は死化粧をされたにしろ見たこともない顔で、色白だった。そういえば口紅を指した姿も見たことがなかったのだ。寝たきりになり日に当たらなくなってやっと本来の皮膚の色に戻っていた。母が亡くなって初めて口紅を指した顔を間近に見た。僕の今まで見ていた母は、働いて色が黒くなっていた母だった。麦わら帽子はかぶっても日焼け止めクリームなどを知らない(買えない)、田舎の農家の人だった。
僕は母の子だったのだ。色白なのはその所為だったのだ。けれども色白な母を知らなかった。
火葬の後の母は小さかった体以上に遺骨が少なく、のど仏も灰になってしまっていた。母らしいと思った。
小学生の頃に不思議なことがあった。国語がダメダメな僕の詩が文集に載ったのだ。書いた記憶は全くないのに。どうも宿題にでてやっつけ仕事で書いたので記憶に残らなかったらしい。逆に載った所為で未だに覚えている
これだけ。いまだに文章がダメダメな僕の、それらしい本に掲載された唯一の文章。
兄が会葬の謝辞を言った。テンプレートに少し手を入れただけのものだった。義姉が亡くなった時には、僕が代筆をし兄が読んだ。ほかにも謝辞や弔辞のゴーストライターをやったことがある。けれども母の時のものを兄弟だれも作ろうとは言わなかった。それでいいじゃないか、そんな風な気分。格好付けることなんかない、それでいいよ。十分だ。
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2008/4/22 〜 |