先日某機関から問い合わせがありました。
結構遠い所の方のようでした。ここに咲く花のうち、フジ・ボタン・シャクナゲ・ドウダン・ベニマンサク以外は、無いというわけではないという位しか数が少ないです。種類によっては一株だけというものもあります。
ロウバイはそれでも四株ほどはありますが、まとまって生えているわけではありません。
カメラで撮ると、風景の一部を切り取ることになって、その周りは想像に任せることになります。結果、脳内で補間して、一杯の花ということになりがちなのでしょうか。
調べてみると沢山咲いているところがあるようです。大量の一面のロウバイというところが。今開善寺では確かにロウバイは咲いていますが、わざわざおいで戴くほどでは無いと思います。ガッカリされると思うのです。
○○市の方は今日来山されたような気がします。お二人の老婦人には何か申し訳ないような気がしました。
近くの国の名称に指定されている天竜峡には、十勝といわれている岩があります。
十勝それぞれについての解説をした額が、某旅館にあって撮影させて頂きました。
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最後の行に「金洞仙史 之恭」とありますが、「金洞」は号で「金井之恭」のようです。群馬県の人ですが、長女が小川平吉の妻になっています。
金井 之恭(かない ゆきやす 天保4年9月18日(1833年10月30日) - 明治40年(1907年)5月13日)は幕末期の志士、明治期の官僚、書家。通称は五郎。字は子誠。号は金洞、梧樓、錦鶏など。
貴族院議員、日本書道会、書道奨励会の会長等を歴任した。長女は弁護士で政治家の小川平吉に嫁ぐ。
- 1833年(天保4)9月:上野国佐位郡島村(現在の群馬県伊勢崎市)に画家で勤皇家の父・鳥洲の三男として生まれる 金井家は新田氏支族の流れを汲むとされる
- 1867年(慶応3):新田義貞の末裔とされる新田満次郎を擁し倒幕の挙兵を企てるが、事が露顕して投獄される
- 1868年(明治元)9月:東京府市政局に出仕
- 1869年(明治2)8月:太政官少史
- 1874年(明治7)1月:権少内史
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2008/4/22 〜 |