銀杏の気根(きこん)です。幾本かあるイチョウの木のうち比較的若い雄木から垂れ下がっています。幾百年か経った古い雌木からは出ていなくて、どういう理由で出てくるのかよく分かりません。鎌倉の常楽寺に古い太い木があって、その木からは盛んに垂れ下がっていたような気がします。
■ 先日常楽寺の和尚さんにお目にかかる機会があって、直接伺ったところ、「確かにたくさんの気根が出ている、ただし地上まで届いているものは無い」とのことでした。 ■ 2011/05/27追記
この気根を、女性の乳房と見立てて子宝に恵まれるよう、あるいは安産のシンボルとしてあがめられることもあるそうです。で、「乳状下垂」(にゅうじょうかすい)ともいうそうです。「状」がなければ女性には些か失礼な物言いになるかもしれません。
安産といえば古来戌の日に帯祝いを行うなど、犬も又安産の象徴です。その犬が新たに家族になりました。
14-15 才にもなる老猫が体調を崩し、彼女の主治医のところへ行ったところ、その悪徳獣医師が
悪徳獣医師は家内のところへ子犬を見せに行き、気がつくと一所に連れて帰ってきてしまいました。先代の犬が具合が悪くなった時も、「良い柴の子がいますが、どう?」などと、まだ亡くなってもいない時にのたまったのです。話に依れば、母親は確かに「柴」なのですが男親は全く不明とのことで、「売り物」ではなかったようです。単に手渡されて譲り受けた形になりました。
何かの縁なんでしょうか。ただいまこの娘さんの名前を、次女(人間)に要請中。
方言ついでに。 2/8 の朝日に「にぬき」が使われなくなっている、という記事が出ていました。「にぬき」は標準語だろう、とはさすがに思いませんが、遠足の時には必ず「にぬき入れとくからなぁ」と母からいわれたものです。
煮抜き、五目ずし、関東炊(かんとだ)き……。「食」に関する関西ことばが日常生活から急速に姿を消している。武庫川女子大学言語文化研究所(兵庫県西宮市)の岸本千秋助手(44)の調査でわかった。「まずい」を意味する「もみない・あじない」は絶滅寸前だ。
調査は2008年11〜12月、武庫川女子大の学生124人と、同研究所に普段から協力している一般の20〜60代の158人を対象にアンケート方式で実施。関西とそれ以外の地域で異なる呼び名を持つ「食」に関する言葉を並べ、どちらをよく使うか選んでもらった。一般の回答者には、子どもの頃どちらを使っていたかも答えてもらった。
その結果、60代以上のほぼ半数かそれ以上が子どもの頃に使っていた「なんば」「ごんぼ」「関東炊き」「ばらずし・五目ずし」という単語が、それぞれ「トウモロコシ」「ゴボウ」「おでん」「ちらしずし」に変わっていた。学生は、これら四つの関西ことばを使う割合が1割に満たなかった。「もみない・あじない」は30代以下でほぼ消滅。「煮抜き」(ゆで卵)も50代以下ではほとんど使われなくなっていた。
「かしわ」「お造り」は学生の1〜2割が今も使うと答えたが、すべての世代で「鶏肉」「お刺し身」を使う割合が拡大。60代でも「鶏肉」「お刺し身」が5割を超えていた。
地方の言葉が消える背景としてテレビの影響が指摘されている。岸本助手は「テレビ世代が親となり、子世代へ伝承する言葉として認識されていない」と、関西ことばの衰退が加速していると指摘する。
一方で西日本を中心に使われる「ミンチ」は、40代以上で子どもの頃より使う人が増え、「ひき肉」を上回った。学生の間でもほぼ半々と健闘している。岸本助手は「かつて関西で肉と言えば牛肉を指したことから、豚や鶏を『肉』と呼ばないよう英語から採り入れられたといわれる。外来語の持つ新しそうな印象のために生き残ったのかもしれない」と話す。(吉野太一郎)
今と比較してではなく、あの頃基準でも貧乏でした。ニワトリを飼っていて(農家でした)売り物でしたが遠足の時には「にぬき」を作ってくれたのです。確かに 50 代以下ではありませんが、ここに出てくる言葉は子ども時代には私にとって全て標準語でした。
私の採れたところは「明石の田舎」です。くっきり・はっきり田舎です。京都や神戸や大阪などの町ではありませんでした。単なる関西の田舎言葉ではなかったんだなぁ(遠い目)
前の記事のように、実際は方言は滅びないでしょうと思います。言葉は時代によって変わってきていて、今も変化の最中なのでしょう。マクドやらマックやら新しい方言は次から次へと生まれてきています。「古い方言」の中には滅びるものもあるでしょうが。
話変わって、新聞とはいえ記事の全体をこのように引用してしまうのは「引用」ではなく「転載」ではないのか、引用は良くても転載はいかんのではないか、とも私も思います。以前はごく一部だけ引用していたのですが、書籍とは違い、ネット上ではある日突然サイトが消滅することがあります。サイトではなくても引用したものがなくなってしまうのは、ままあることです。これは印刷媒体の時には想定されていなかった事ではないでしょうか。原典に当たることが出来なくなってしまいます。
私の作ったものの中にもデッドリンクになっているのも少なくありません。
というわけでこの頃は意味が分かる範囲(今回は記事全体)を引用文として引くことにしました。
もしも「こらぁ」といわれればすぐさま取り下げるつもりの「へたれ」なのですが、書籍の場合とは違うでしょとは思います。(新しい基準が必要でしょうね)
県教委は8日、開善寺(飯田市)の「木造清拙正澄坐像(もくぞうせいせつしょうちょうざぞう)」=写真=と松本市の「桜ケ丘古墳出土品」(計64点)の2件を県宝に指定するよう、県文化財保護審議会に諮問することを決めた。
木造清拙正澄坐像は14世紀後半の南北朝時代の作とされ、ヒノキの寄せ木造りで、表面は布を張った上に胡粉(ごふん)を塗り、彩色を施してある。同時代の彫像として優れた技法の作品という。
というわけで、開山様の木像が「県宝」に指定されるかもしれません。そのこと自体は、飯田市が推薦する時に了解を求められていたので、そう意外ではなかったのですが。信毎を購読していないのでこのニュースになったことは知りませんでした。「新聞のニュースでご存じのように…」という電話があり、「申し訳ありません。何新聞でしょう?」。
よく判りませんが、長野県民たるものは概ね「信毎」を購読すべきなのでしょうか?
ところで今判ったことなのですが、ATOK の辞書には「県宝」は登録されていませんでした。一般的な言葉ではないのだろうかと、 google などで調べて調べてみると、どうも長野県特有の言葉らしいです。他地方では、「県指定の重要文化財」とか「市指定の文化財」の言い回しが使われていて、そういえばここにある山門なども「国指定の重要文化財」などと言われたことがあります。長野県内では「重要文化財」というのは全て「国指定」ですので、ずいぶん丁寧な言い方と思ったのですが、長野県外では「重要文化財」だけでは「国指定」なのか県・市・町・村なのかは判らないわけですね。
明治からこちら、とりわけラジオ・テレビが普及してから、方言が使われなくなり滅びようとしている、などとの「説」を拝聴することがありますが、長野県においては「県宝」という単語が、仮に昔から在る言葉としても特異的に使われています。新しい方言といっても良いのかもしれません。
「方言は滅びぬ、何度でもよみがえるさ、方言の力こそ人類のアイデンティティを為すからだ!!」 by 偽ムスカ
でしょうか。
物忘れは突然訪れるものではないでしょう。何かを記憶したつもりでも、時間と共に少しずつ忘れていくものの様です。管理人も年齢相応にそのスピードは加速しているようです。もちろん均等に忘れていくわけではなく、中には忘れようとして忘れられないものもあるわけです。
以前お世話になっていた ISP で、wiki を使っていたことがありました。ISP 側で PHP をバージョンアップした時に動かなくなってしまい、恐ろしいことにデータも共に無くなってしまいました。これなど「忘れようとして忘れられないこと」であったわけです。
ところで「飯田娘」というご当地ソングがあります。以前には時々は耳にしていたのですがこの頃は聞いたことがありません。
歌詞などはうろ覚えだったので調べてアップしたことがあります。上記のトラブルでページが無くなってしまい、調べた歌詞も無くなったと思っていました。健忘症を防止するのは難しいのですが、その被害を少なくするため普段色々なことを一つのファイルに保存しています。他のものを探している時に、歌詞を再発見し歌詞の部分を更新しました。
電子テキストは適当にハードディスクに放り込んでおけば(かつ バックアップをとっていれば)、検索すれば判るので----どこにしまった----に関しては気にしなくてもよいわけで非常に便利なツールですが、しかし保存したこと自体を忘れる様では役に立たないわけです。
today | |
yesterday | |
total | |
2008/4/22 〜 |