秋が深まりだした。裏のドウダンはかなり紅葉してきた。楓の木はまだまだ青い。それでもサクラの木は葉を落とす。
庭掃除中はラジオを聞いている。今日の信越放送で、加藤和彦さんの自殺について触れていた。そのことに関しての投稿を紹介するのだが、その中の一つとして
加藤氏は自殺をしてホテルに迷惑を掛けた。ホテルがかわいそうだ。
まるでパフォーマンスで自殺したかのごとくである。投稿してきた方はよほど強い方なのだろう。そしてそれを紹介した、武田徹氏もまた強い方なのだろう。投稿の取捨選択する権限と責任は、放送局にある。その点で言えば武田徹氏の意見と言っても良い。
情を持ち出すまでもなく、恐らく投稿者自身とは個人的なつきあいのない人の死をこのように断罪すること自体が異常なことだと思う。
遺族ならそれを言うこともあるだろう。そうでないものは仮にそう思っても、他人にはそのことを披瀝しない。ましてそれをラジオで流すのは、よほど強い人でなければ出来ないことだろう。
百歩も二百歩も譲って、「リスナーの皆さん自殺しないで下さい」とのメッセージであるとしても、私にはひどく冷たい言葉に思えた。
「立秋は過ぎたとはいえ、まだまだ残暑が厳しいと」、昨年ならば通用する言葉も、ここ幾日かはすっかり秋の気温になっていました。朝は寒いくらいです。
お盆や長雨でできなかった草取りを、今になってやっている訳です。そんなわけで地際を這いずりまわっていて、今日ツルリンドウを見つけました。地際にあって小さい花なので案外見逃しやく、実になってから気づくことが多いのです。今年は幸運でしたが、撮影したのが夕方でしたので画像はいまいち。明日にでも明るいときに再度挑戦しようかと。
♪ はだか電燈 舞踏会 ♪
は「赤色エレジー」
♪ あのころふたりのアパートは はだか電球まぶしくて♪
は「赤ちょうちん」
管理人の小さい頃は、我が家でもはだか電灯でした、それで本も読んでいたわけで、蛍光灯になったのは昭和40年代になってからか。やたら明るくなったことを覚えています。電灯には乳白色の傘がかぶっていました。どこからか安定器を拾ってきて、木の板に安定器をくっつけ太めの導線をコイルにしてグローランプをつけ、スタンドを作ったこともあります。
その乳白色の傘、いまでも(実家ではありませんが)納屋に眠っていました。掘り出して洗えば新品のようです。今は電球型の蛍光管もあることだし復活させようと電気店にいくと、LED電球がおいてありました。さほどの光量を必要としない場所だったので比較のためT社製とS社製のLEDを購入し工作をしました。
電気店にもなかった物は、シェードホルダー(セードホルダー)。古い物から慎重に取り外しソケットに装着。というわけで下のような物になりました。昭和レトロ風はだか電灯。
蛍光管になり、はだか電灯のころの灯具はおおむねなくなったわけですが、非白熱灯電球のおかげで40年後に実用として(?)十分使えるようになったわけです。
today | |
yesterday | |
total | |
2008/4/22 〜 |