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季節の花 一日中曇り 一瞬だけ雨

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花たち
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huu 2010-6-8 20:32

ドクダミはこの時期に咲く。確かどこかに八重の花もあったはずだ。ここでは雑草扱いで絶やそうとしているが、絶滅どころかその版図を広げているように見える。

現代では野菜の花は一年中咲いている。トウガラシは露地だと今頃。トウガラシはナスとは親戚になるそうで、ナスもそうだがある程度の気温が高いところでは、低木ないしは多年草に分類されるそうだ。鉢に取って冬越しさせればこのトウガラシは来年も収穫できるのか?

ハスの葉は良く水を撥じく。出たての葉はまっさらでことのほか撥じく。葉が水に濡れるようになる頃はすっかり秋になっている。

スイレン まだ梅雨にならない

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花たち
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huu 2010-6-7 19:00

スイレンは夏のものというイメージがあるが、実際は梅雨前から盛んに咲いている。幾年か前にいただいた一株が、池の半ばを覆うようになった。強健な植物だ。小さな魚がカワセミから隠れる格好の避難場所になっている。

神田紅・紅葉さん

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日常
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huu 2010-6-6 8:29

というわけで 神田紅さんたちの講談を飯田中央公民館まで拝聴に出かけました。少し遅れていったので、師弟リレー講談は前段を聞き逃しました。生で聞く(はじめてです)講談師の語り口は、はきはき・くっきりとして非常に聞き易く、びっくりしました。午前中に寺にお見えになったらしいのですが、わたしが寺にいず直接ご尊顔を拝することができず残念でした。

紅葉さんの隣の男性は、原稿を書かれる牧内雪彦氏です。

オオヤマレンゲ 雷は鳴るは雨は降るは

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花たち
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huu 2010-6-3 18:00

天才中原中也は「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。」と書きましたが、凡人たる管理人は、親が亡くなろうが、首相が突然「やーめた」といっても、日常生活を努めなければなりません。

今日も裏山のドウダンの下を這いずり回っています。おかげで幾年か前に植えた「オオヤマレンゲ」が咲いているのに出会いました。意外と葉が大きく庭に植えると落葉時に大変(建物傍のタイサンボクで既に大変)と言うことで、掃除をしなくても良いようにと裏山に植えたものでした。その点は良かったのですが、木が小さい内は咲いたことに気がつかないという欠点があります。昨年は気がつかないうちに終わってしまいました。

それにしてもここ幾代かの首相。単に、「せっかく代議士になった(なれた)からには、一度は(偉そうに見える)首相というものをやってみたいものだ」程度の志で首相をめざしたら、「あらあら首相になっちゃたよ、何すればいいんだあ」。結果何をどうしたいのかご本人すら判らないままやめてしまった印象が強いですなぁ。当然周囲はもっと判らないわけです。ですから「蜃気楼」(誰のことでしたっけ)とか「宇宙人」(誰のことでしたっけ 2)とか言われてしまったのでしょう。市民はとは言わないまでも、管理人にしてみれば、「おまえ、いったい何がしたい?」ということがお終いまで見えなかったというのが金銭問題よりも不満なわけで、それが支持率低下につながったわけで、と思いますが。

色白だった

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日常
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huu 2010-5-31 23:02

僕は体の色が白い。手も顔も黒いが、これは日に焼けているからだと思う。僕の兄弟も、三人いる僕の子供たちも全員色が白い。

父も母も色白ではないし、第一母が化粧などしたところを見たことはない。小学生の頃の参観日など、脊が小さく顔色も黒く脊を少し前屈みにした姿は、逆に目立っていた。

母の遺影は表情は明るいけれども、そういった姿だった。おそらくいくらかは元気だった頃に撮ったものの様だった。けれども棺の中に納まった顔は死化粧をされたにしろ見たこともない顔で、色白だった。そういえば口紅を指した姿も見たことがなかったのだ。寝たきりになり日に当たらなくなってやっと本来の皮膚の色に戻っていた。母が亡くなって初めて口紅を指した顔を間近に見た。僕の今まで見ていた母は、働いて色が黒くなっていた母だった。麦わら帽子はかぶっても日焼け止めクリームなどを知らない(買えない)、田舎の農家の人だった。

僕は母の子だったのだ。色白なのはその所為だったのだ。けれども色白な母を知らなかった。

火葬の後の母は小さかった体以上に遺骨が少なく、のど仏も灰になってしまっていた。母らしいと思った。

小学生の頃に不思議なことがあった。国語がダメダメな僕の詩が文集に載ったのだ。書いた記憶は全くないのに。どうも宿題にでてやっつけ仕事で書いたので記憶に残らなかったらしい。逆に載った所為で未だに覚えている

  1. おかあちゃんの手を叩いたら、ぼくの手の方が痛い。
  2. 兄ちゃんに聞いたら、「仕事してるからや」、といった。

これだけ。いまだに文章がダメダメな僕の、それらしい本に掲載された唯一の文章。

兄が会葬の謝辞を言った。テンプレートに少し手を入れただけのものだった。義姉が亡くなった時には、僕が代筆をし兄が読んだ。ほかにも謝辞や弔辞のゴーストライターをやったことがある。けれども母の時のものを兄弟だれも作ろうとは言わなかった。それでいいじゃないか、そんな風な気分。格好付けることなんかない、それでいいよ。十分だ。

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