あんたら、禅寺(ぜんでら)の老僧の生活ってのが判るか?
例えばこの臘八の頃にはな、あぁ今頃若い雲水達が一生懸命坐ってるな、と囲炉裏の灰に線香の一本も差し、自分もしばし坐禅するようなもんじゃ
と某老大師は臘八の提唱で仰いました。まだ私は老僧というほどではありませんが、弟子が臘八の最終日を迎えているのだとの感慨はあります。が老僧ならざる私は、一炷の坐禅どころか先日吹いた大風による杉枯れ葉が山のように落ちているのを片付けるのにフウフウ言っている体たらくです。
囲炉裏のその付近だけが仄明るく、一本の線香の香りと倶にある坐禅姿は墨絵にもなりそうな詩的な雰囲気があります。
実際にやっていることは、大きなゴミ袋と熊手と箕とあまり詩的でない散文的なことで、幾枚か残ったしつこい葉など残しておけば絵になるものをたたき落として顰蹙を買い、ゴミ袋をガシガシと足で踏みつけてなるべく沢山入るようにしたり。入れすぎて重くなったのを悔いてみたり。
あぁ、上記の老僧のような生活が本当に迎えられるのでしょうか。
というわけで、本日は臘八最終日。
お釈迦さまは12月8日、明けの明星を見てお悟りを開かれたそうです。今日7日に「あかつき」が金星に到達したそうですが、お釈迦さまに縁のある今日という日にしたのは、成道會に合うようになのでしょうか。
today | |
yesterday | |
total | |
2008/4/22 〜 |