「銀(ぎん)の滴(しずく)降るふるまわりに」で始まる「アイヌ神謡集」は「知里幸恵」が日本語訳したものです。
「銀の滴(しずく)降るふるまわりに,金の滴(しずく)降るふるまわりに」
という歌を静かにうたいながら この家の左の座へ右の座へ
美しい音をたてて飛びました.
私が羽ばたきをすると,私のまわりに
美しい宝物,神の宝物が美しい音をたてて
落ち散りました.
※アイヌ神謡集は電子化されつつあります。その中で「銀の滴降る降るまはりに」の全文を読むことができます。こことは別に青空文庫でも読むことができます。
小学生の時に、アイヌの人が民族衣装を身に纏い学校へ来たことがあります(兵庫県)。講堂でアイヌの言葉やら風俗を聞かせていただいたのですが、あれは当時でもまた今考えても「この扱いは見世物扱いではないか?」との疑いが晴れません。悲しかったことだけを思い出します。20代の頃だったかアイヌ神謡集を読んだときはその美しい世界にびっくりしました。新潮選書で出た藤本 英夫 著『銀のしずく 降る降る』で知里幸恵・真志保兄弟の生涯などを知ると、「金田一さんもう少し配慮できなかったんですか?」と
今「キンモクセイ」と「ギンモクセイ」が花盛りです。そこいら中にその香りが漂っています。少し濃密な感じのする香りで、人によっては強すぎると思う方もいるかも知れません。金と銀から知里幸恵さんのことを思い出したわけです。
万年筆を使っていたときのデフォルト色は、ブルーブラック(青墨(あおすみ)色)でした。万年筆を使わなくなってからかなりの年月が経っています。このごろひょんな事から懐かしのブルーブラックを目にしました。
本堂の濡れ縁が長年の風雨で汚れてしまい、雑巾で拭いても白っぽくなってしまい、今回柿渋を塗ってみました。雲水が使う網代笠には必ず柿渋を塗ります。管理人が使った頃は、柿渋には腐敗臭があり塗った直後はひどい臭いがしました。今市販されているものはほぼ無臭です。廊下に塗ったとは言え、塗膜ができるわけではないので、素足に感じるのは「木」そのものです。
塗った後に画像のようなものが方々に出てきました。古釘のさびに柿渋が反応したようです。柿の渋はタンニンで、タンニン酸類(ポリフェノール)は鉄錆と常温で反応し、水に不溶性の青色又は黒色の錯体を作るらしいのでこのような色になったものと思います。タンニンは繊維にきわめて強固に結合吸着するらしいので、こういう濡れ縁の保護には良いのではないかと。
上記サイトを見ると、要するにタンニンであればいいので、柿渋(結構高い)でなくともお茶だろうがコーヒーだろうが同じような効果(木材の保護)があるはずなので、コーヒー風味の廊下もまたいいのではと。今度目立たないところでやってみます。出がらしを使えばいいので財布にも優しそうです。
先日蛭間啓博士が植生学会(The Society of Vegetation Science) の 第15回植生学会札幌大会で奨励賞を受賞されました。\(^O^)/
若き(?)学究の徒の地道な研究によるすばらしい成果であるといえましょう。讃歎する以外に何ができましょうか。そこで蛭間博士にご縁を戴いている者達が、ささやかではありますが祝賀の会を開きました。私は本来そのメンバでは無かったようなのですが、会が始まってからお声が掛かり、だいぶお酒が廻った途中から参加させていただきました。初めから参加した者の話では記念講演を一時間ほど拝聴し、植生に造詣の深い参加者全員が、深い感銘を受け、「奨励賞は当然だ」と感想をもったようです。私といえば非常に残念ながらその講演は聞き逃し、行った頃には蛭間博士を含め全員が只の酔っ払いにしか思えなかったのですが。
蛭間博士含め全員が、顔をさらしてもいいよ〜、ということでしたので画像を二枚。フラッシュの電池が無くなってしまい、手ぶれの画像もありますが、ご寛恕のほど。植生に造詣の深そうな人物が殆ど見当たらないとお思いの方、あなたの勘はすばらしいと思います。ちなみにこの画像の中に私はいません。為念。
科学技術計算というと、プログラムを書いて計算するイメージが強い。実際その手の計算をするために Fortran などが開発された。今も研究室には Fortran の遺産があるとか無いとか。よほどうまく作れば汎用性を持たせることは可能だろうけれども、そうするには「プログラム」そのものの技術が必要になってしまう。結局個別のプログラムが山ほどできてしまい、これはこれで困った事になる。「計算がしたいんだよ、プログラムを組みたいんじゃ無いんだ」
この本は、計算はしたいけどプログラムを組むほどではない、というときに、手軽に Excel などの表計算ソフト上でやってしまおう、という向きに最適な本。
手軽と言っても、元になる解法はしっかりと理解していなければならない。また数値計算の時には 0 に近い値での除算には気をつけないと誤差山盛りになりかねない。そういったものが関数の中に隠れていたりして悩ましい話だ。表計算ソフトはそれを承知の上で使えば強力なツールになる。管理人自身の生活の中ではほとんど関係ない世界のように見えるが、時々はメディアに出た数値を「えっホントかよ」と検算して見ることがある。表計算ソフトはそんなときに便利。
著者:神足史人(こうたりふみと) 発行所:丸善 値:2,200+TAX ISBN978-4-621-08173-0
この本を著者より戴きました。皆様におかれましては、ご自宅を新築されるようなとき、構造計算が設計図と一致しているのかどうかをご確認されるには、巨大な連立方程式を解く必要が出てきます。そう云ったときの一助になればとお奨めする次第ですm(_ _)m。
巻末にある参考文献一覧の中に懐かしい本を幾冊か発見。
「神の手」という言葉は古くからある。神の見えざる手はアダムスミスの国富論に出てくる。この場合は神の(による)采配だろうか。人間の経済活動は、予定調和のごとく人為を越えて収斂していくものと期待されていたのだ。この頃経済の振幅が大きく、実は発散するのではないかなどと思うのは間違いなのだ。孫悟空がいくら逸脱しているつもりでも、仏様の手のひらを越え得なかったと同様である。それ以外ではブラックジャックのような、神に祝福された卓越した技術を持つものを称しているような気がする。
では、「神の足」はどうだろうか?マラソンやサッカーの選手を形容するのに使われていそうだ。が「神の手」(卓越した技術)の足版に過ぎない。
日本では昔から「神足」の一族がいる。「恨ミシュラン」を西原理恵子と共に書いた神足裕司(こうたりゆうじ)(こうたりん)などの一族だ。神足神社などもあるらしい。ただこの神足は「神の足」ではなく「神が足(た)りている」意であるので、神の手とは些か趣が異るし、日本における神足が本来どんな意味を持っていたのか定かではない。
一般的には、この神足は姓としては難読に属するものであろうと思う。が、恨ミシュランの神足も管理人にとっては難読でも何でもなかった。同級に神足君がいたのだ。
先日の同級会案内の中に、出席者として神足君の名が上がっていた。秀才肌で背が高くネコ毛の彼も、はや還暦である。以前温暖化に関して検索していた時に彼のサイトにヒットした。なにやら数値計算をしているらしい。メールアドレスも掲載してあったので今回恐る恐るメールを送ってみた。「あんた誰?」であろうと思ったら、必死になって卒業者名簿などを探し回ったらしく管理人を認知してくれた。そういえば昔から思いやりのある人であった。何しろ管理人はクラスの中でも劣等生で、今もそうだが小心者で態度も声も小さく存在感のない生徒であったので、名前だけで思い出せるはずがないからだ。
で、彼のサイトがGOD FOOTいや「こうたり」なので「God is enough」で「God Enough」位にしろよと。
彼の著作は大学の教科書にも採用されています。「神の手」を持つ「神足」というわけですか。
リンクを張った記念の為に。数値計算ご入用の方は是非ご贔屓に。地球温暖化などのシミュレーションなどのページもあります。ご一読のほどを。
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2008/4/22 〜 |