40 年ほど前に高校を卒業した。その同窓会から始めて同窓会の案内が来た。前もって欠席することを同窓会には伝えていたが、今回は 3 年の時の同級だった方からのお誘いである。「同級会もやるぞ、カラオケルームも借りたぞ。出てこい。」なかなか還暦前後のおじさん達は元気なものだ。一瞬参加したい誘惑に駆られたが、残念ながらそうも行かない。
今まで通知が来なかったのは、地元にいない当方が向こうから見て行方不明になっていたからで、実は中退だったとか退学だったとか、または事務上の手落ちなどではない。一応チャンと卒業したつもりで居るのだ。が当然のこととして同窓会費(もしあれば)は一円も納めたことがない。
いくらか近況も書いてあって 40 人超のクラスで 3 人が物故者になっていた。その他に担任の先生も亡くなっておられた。通知を下さった方の奥様に電話で欠席を伝えたのだが、夜になってご本人から電話を頂いた。色々な話の中で、「○○(管理人のこと)は▲▲だけはできたからなぁ」と。人間つまらないことだけは忘れないようだ。また尊敬していた物理の先生が自死されていた事を聞いた。人は大事なものから失っていくものらしい。担任ではなかったが授業の内容よりは、時々漏らす話がおもしろい方だった。
「又の機会があればよろしくお願いいたします。」とお願いしたが、さて又の機会は来るのか?
某山行きは現在参加者 11 名(偉い人含む)。偉い人の移動手段も確保。10 日には偉い人に面会して行程を説明してくる予定。
関東地方は諸行事と重なっている模様。あっちの事はわかわんからなあ。こっちも大きめの行事に不参加で、文句を言われているし。
今日も暑い。が屋内は最高気温が 32 度くらいまでしか上昇しない。にもかかわらず寺で法要などがあった場合に、「お寺も暑いですねぇ」となる。それはそうだ、玄関に入る直前まで車内で冷房の効いた環境から、無冷房(扇風機のみ)の所へ、汗もかかずに入れば、それはそれは暑く感じるはず。
三浦哲郎氏が亡くなられた。忍ぶ川を読んだのは文庫本になってから。それから同じ著者の作品が文庫本になるたびに買っていた。
いくつかの場面が、忘れられない。志乃さんが箸袋に走り書きしたのを手渡す場面、雪が残る八戸の駅へ主人公を迎えに行った時に、和服で長靴を履き裾を端折った自分の格好を「へんな格好」と言った場面。八戸などの地名もその時知った。いや太宰の津軽にもその地名は出ていたような気がするが、そちらは記憶に残らなかったのか。
氏は作品を「小説」ではなく「物語」と作品の中で言っていた。それは一つの世界を作り上げるということなのだ、と勝手に思っていた。私小説家と言われたが私小説には収まらなかった。文庫版忍ぶ川の解説は奥野健夫氏がされていたんだっけか。
買った文庫版もどこかに在るはずだが探せない。買ってきてもう一度読みたくなった。
8/16 は餓鬼の首でなにもしないはずが、お盆中待っていただいた来客やら、なにより夕方から近所のお寺の川施餓鬼に出かけなければなりません。餓鬼の首の風習はどこへ行ってしまったのでしょう。準備やら当日出るスタッフは膨大な数になります。盆も正月もないものか、です。庵主さんの所へ寄り一緒に出かけるのは例年の通りです。
高台にあるそのお寺から出発するときに、新しくできた橋を撮りました。手前に写っている元の橋を「赤い橋」と子供たちは言っていました。並んだところを見ると、「赤だったかも知れない橋」に見えます。
86歳の庵主さん始め和尚さんたちは、高台から川傍まで降りていき読経いたします。お参りされる方が終わるのを待って引き上げるのですが、今度は登りになります。庵主さんと手をつなぎ途中幾度も休みながら登っていきました。いったい餓鬼の首の……。
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2008/4/22 〜 |