夕立の多いこの頃です。雷雨は突然に大粒の雨が降ってきて、うっかりするとずぶ濡れになります。昨日もそういう雨で相当激しく降りました。今(間が悪い事に)、飯田地方は夏祭りの季節です。祭りには花火が打ち上げられる事が多いのですが、問題は雨。雨が降ると宇宙花火 もとい 雨中花火になってしまい、うまく見えない事が多いのです。打ち上げ師の方に話を伺う事があって、「雨が降ろうと槍が降ろうと、セットした花火は打ち上げる」とのことでした。昨日も雨の中で花火の音が聞こえていました。打ち上げ順序の制御は PC & 電気着火 で行うそうです。「花火打ち上げタイムスケジューラ」などという物があるのでしょうか。もし雷のせいでPCがおかしくなると、エライ事になりそうな気がします。
そんな激しい夕立でも、ハスの葉は濡れません。元気なうちは見事に水を撥じきます。人がまだまね出来ない微細構造をしているからですが、ハスにしてみると、「濡れるのがいや」というよりは、葉の形からして、水を受けてしまうと葉の茎が折れる事になってしまい、恐らくそれを防ぐように・うまく水を落とすためのような気がします。実際枯れる頃には水を撥じくことがなくなり、茎は途中で折れてしまいます。
というわけで、花の数は少なくなりましたが、葉はまだまだ新しいものの様な姿をしています。花が終わっても実を実らせ終わるまでは駄目になるわけにはいかないのでしょうね。「お母ちゃんはなぁ、あんたら(種)が大きぃなるまで、死なれへんねん」鬼子母神の世界です。
ハスが咲き出してから一月が経ちました。ほとんどの花が蜂巣の様な物になっています。この中の実はまだ青くそのまま(皮は剥きます)生で食べる事が出来ます。堅くなった物は調理して食べるそうですが、まだ未食です。青い実は青臭さが全くなく面白い味がします。(味に関する語彙不足です。ご容赦)
いよいよハスも終盤と言う事でハスを生けました。「生けました」といっても生け花を習った事の無い身としては放り込む事しか出来ないのが難点ですが、それでも茎に水を注入し萎れないように気をつけました。本堂の内陣(本尊様の所)は光が差さず肉眼には薄暗く見え、とてもこの画像のようには見えません。三脚を使って自然光で撮影したのですが、普段の肉眼からの様子から見ると、他所のお寺さんのように見えます。
香爐の位置が少しずれています。その後直したのですが画像ではそのままです。
それにしても、「いけばな」は「生け花・活け花」どっちの方がいいんでしょうね。鮮魚・生魚・活魚の使い分けもなんだか微妙ですし。
今年のお盆は、珍しく雨が降りました。しばらく晴天が続いていたので、干天の慈雨には間違いありません。バイクで走り回っている和尚がずぶ濡れになった事などは、些細な事で何の問題もありません。
コケは乾燥には滅法強く、年単位で降らなくともひとたび水分を得られればすぐに緑を回復します。仮死状態で乾燥時期をやり過ごすわけですが、その間はライターで簡単に火が付きそうな位に乾燥状態になります。この画像のコケも雨の前は茶色になってパリパリに乾燥していました。今回の雨で緑を回復しこのような状態です。
京都の某寺で「ここではスギゴケには朝夕毎日撒水してるんだぜ、お前やってるか?」と聞かれ「いや、スギゴケなんて普通放置でしょ、ワタシャそれを【見栄の水】って名付けてますけど」などと言ってしまい、あぁまた余計な事を言ってしまったと反省しています。が、水やりは必須では無く、単にお客さんの為(訪れる方への心遣い)なので、やはり【見栄の水】は間違いでは無いと思っています。いつものように、思慮無く口にしたのが浅はかだったわけで。口にしたとたん、「しまった」と気付きはするのですが。
先日、コケ博士大石善隆博士の講演を聴く機会がありました。博士曰く、コケは後に発生したシダや種子植物に追いやられ、彼らの生育できないような過酷な環境にニッチを見いだし・適応した。とのこと。この場所は、人為のため種子植物などが非常に生存が難しい(抜かれてしまう)過酷な場所で、スギゴケの天下になっています。
一番後の画像は、屋根に残った銅製の樋から落ちる水しぶきを受ける場所です。銅イオンのせいで、さすがのスギゴケも侵入できなかった場所です。画像にある繁殖しているのは恐らく地衣類(植物では無い)ですが、地衣類も又普通の植物が生育できない強酸性・重金属イオンのある場所にも生育する種類があるようです。腐海でも生存できそうで、ナウシカの世界を彷彿とさせます。
それにしても、本当に有り難い雨だったのですが、わがままを言えば、16日から降っていただければ、もっと有り難かったですね。
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2008/4/22 〜 |